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去年の今日。
- 2005-10-23(11:45) /
- 三度目の再発、入院
新潟中越大地震。
新聞やTV、ラジオ、そしてネット情報、いろいろな所で特集が組まれていますね。
ある番組の取材、質問等対し「ん~」と感じる場面が多々ありました。
時間枠内のまとめ?視聴率重視?いや、我々のブーム好き?がそうさせているのかも。(報道関係者の方へ、知りもしないくせに勝手な言い分、お許し下さい)
もっと具体的な話がドンドン出てきてもいいように思う。悪戦苦闘している方達がいっぱいいるはず。
いろんな問題を抱えながらの仮設住宅生活。笑顔で答えてくれている人達を見ていると逆に励まされたり…、そのまま受け止められなかったり…。
受け止め方、感じ方は人それぞれ違うのだから気をつけなくてはいけないね、それはこのダラダラRyojiコラム(blog)の事。僕は大丈夫、目標がある、少しずつでも前に向かう方法があるのだから。
去年の今日もココSCR(無菌室)にいました。
ベッドにしがみついてもロックが外れ動き回り、どうする事も出来ませんでした。
再発で自家造血幹細胞移植の前段階の直前。一度下げておいた白血球を一気に上げ造血幹細胞数(血液を作るもとの細胞)をフツフツ生まれさせる時期での出来事。
タイミングを外すと自家造血幹細胞数が足りなくて移植が長引くし、体も持たなくなってくる。
そんな中での震度6強、11階は大揺れ。
余震続きの中、三日連続で採取し、ようやく一回分ちょいが採れました。
(一日で3,4回分採取できる方もいらっしゃるそう、少しでも多いほうが早く定着してくれるため採れた分を一回で移植する事が多いと聞いています)
四日目辺りからは細胞数が少なくなってくるので難しくなる。
遠心分離機みたいな大きな機械で採取するのですが大きな余震の中、担当の医師は冷や汗かいて押さえてくれたたけど無理だよね。元が揺れているんだから…。
白血球は100以下(標準4000~8500)。
後で聞いた話。この病院では震度8の耐久性があるそう、震度7時点で他の患者さんは非難させる準備をするが、クリーンルームに入っている患者さんは人ごみに出す事自体が自殺行、ココに残ってもらうようにと緊急会議で決まったと話して頂きました。 病院と一緒にね。
病院は、自家発電が作動する為、照明、清浄機や機器類等に問題はないもののエレベーターは止まり、先生をはじめ、看護師さんは階段より駆けつける。自宅の事は後回しに息を切らせて階段を上がってきたんだ(災害等、休日でも病院へ来ることが義務づけられているそうです)
僕も自分の事はともかく、家族やお店の事がとても心配だった事を思い出します。何もできない事が歯がゆかった。みんな混乱していた。
あれから一年、僕はまたSCRにいます。なんだかフクザツな日だ。
昨日は微熱(37.0~37.5)が続き、ずっと横になっていましたが妻が夕方に来てくれた。IさんCDありがとう。 少しテレビをつける…、リマからのパス、エジミウソンのゴール! うれしい。
写真. 今日のpm3:30頃。たまたま外を見たら虹がかかっていた、復興へのエールの虹。ありがとう。
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それに教えてもらったこと
昨日、NHKの特番を見ていて印象に残った言葉がありました。
「地震に教えてもらったんだて。 地震がなければ何の気なしにやってたかもしれない」とある方が話してました。
大変なことって、辛いことも苦しいこともあるけれど、気付かなかった大切なことに気付かせてもらえるチャンスでもあるのかな。
それによって、また人間味あふれるようになれるのかな。。。
・・・と思い見ていました。
この日に虹が架かるなんて、とってもうれしいですね。
「地震に教えてもらったんだて。 地震がなければ何の気なしにやってたかもしれない」とある方が話してました。
大変なことって、辛いことも苦しいこともあるけれど、気付かなかった大切なことに気付かせてもらえるチャンスでもあるのかな。
それによって、また人間味あふれるようになれるのかな。。。
・・・と思い見ていました。
この日に虹が架かるなんて、とってもうれしいですね。
あきらサンへ・Ryoji
僕もそう感じました、NHK見ましたよ。耳や目から入った情報や言葉ではなく実際に体験しはじめて気づく事はいっぱいあると思います。僕もこの病気になってはじめて大切なものを感じたりします、感謝しなければ。口では簡単に分かった様な事言えるけど、なかなかね。
「にんげんだもの」 ナンチャッテ相田みつをでした。ありがとう、あきらサン、虹はとても嬉しかったんだよ
「にんげんだもの」 ナンチャッテ相田みつをでした。ありがとう、あきらサン、虹はとても嬉しかったんだよ